90 両立不可能性は<問い合わされるもの>の違いから生じる  (20230403)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

 二つの記述が両立不可能になるのは、それらが一つの対象についての記述(descriptions of one object)だからであるというのがブランダムの指摘ですが、私はそれらが一つの問いについての答えであるからだ、というほうがより正確だと考えます。

では、同一の問いとはどういうことでしょうか。前回述べたように、問いが<問われるもの><問い求められるもの><問い合わされるもの>という3つの要素を持つとき、同一の問いであるというためには、この3つがすべて同一であることが必要でしょうか。<問われるもの>と<問い求められるもの>は同一である必要です。なぜなら、これらは疑問文の中で明示される必要があるからです。しかし<問い合わされるもの>は疑問文の中には明示されていません。「Xさんは何歳ですか」という問いの<問われるもの>はXさんであり、<問いも求められるもの>はXさんの歳ですが、<問い合わされるもの>は、この疑問文の中には明示されていません。それをネットで調べてもよいし、友人に訪ねてもよいし、本人に尋ねることもできるかもしれません。<問い合わされるもの>がことなるとき、答えが異なることがあるかもしれません。問いに答えるには、何かに問い合わせる必要があり、問いの答えが異なる場合、その差異は、問い合わされるものの違いから生じることも最も多いだろと思います(ただし、同じものに問い合わせても、何らかの勘違いで、異なる答えを引き出すことはあり得ます)。

問いに答えることは、推論によって答える場合と推論によらないで答える場合があります。推論によって答える場合、<問い合わされるもの>から得られる平叙文が、その推論の前提の一部になります。問い合わされるものが異なれば、その異なる平叙文が前提として利用されます。場合によっては、<問い合わされるもの>が同一であっても、そこから異なる平叙文を得て、それを前提とする推論で答えに至るとき、答えは両立不可能なの者になるかもしれません。

では、問いに対する答えが知覚報告として、推論によらずに得られる場合には、<私たちが問い合わすもの>は何でしょうか。

「これは何色か」という問いに答えるために、対象の性質(色)そのものに問い合わせるのだとすると、その答えは、対象の知覚についての報告というよりも、対象の色についての報告というのがよいでしょう。(もし、「これは何色か」という問いに答えるために、対象の性質(色)の知覚に問い合わせるのだとすると、その答えは、知覚についての報告だというのがよいでしょう。しかし、大抵は、対象の色の知覚に問い合わせるとは思っていなくて、対象の色そのものに問い合わせていると思っているのではないでしょうか。)

 ある物体を指さして「これは何色ですか」と問われたとき、それに答えるためには、問われるまではぼんやり見ていた対象の色に注意します。そのとき注意するのは、その物体の色ですが、私たちはその物体の色を指示できるでしょうか。物体の色を指示できるとすれば、それは色のトロープ(個別的属性、<この赤さ>など)です。しかし、逆転スペクトルの思考実験を考えるとき、もし物体の色があるとしても、それがどのようなものであるかは、知りえないことになります。私が知覚している色を、他者も知覚しているという保証がないからです。

 「これは何色か」に答えようとするとき、私たちは対象の色そのものに問い合わせることはできないとすれば、(たとえ、対象の色そのものに問い合わせていると思っているとしても)私たち実際に問い合わしているのは、対象の色の知覚です。そして、ノエの「知覚のエナクティヴィズム」が主張するように、その知覚は静止画のような像ではない、知覚は注意におうじて常に変化しているものです。 対象の色の知覚は、(非言語的)探索の(非言語的)答えとして成立している知覚変化だと思われます。この知覚変化は、客観的なものではなく、主体に依存した主観的なものです。

この(非言語的)探索が問い合わせているものは、対象についての事実そのもの、脳の外部に成立している事実だといえるかもしれません。この場合、対象についての事実そのものは、知覚にも知覚報告とも異なり、それ自体を捉えることのできないものです。

事実の概念構造や概念関係の客観性というものは、知覚報告とは別のところに求める必要がありそうです。主張の両立不可能性が、問いの同一性から生じるのだとすると、そのことから、問いを構成している前提(事実の概念構造や概念関係)の客観性を主張できるかもしれません。

これを次に考えてみます。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。